想像を形にする「クリスタ」
2012年に公開されたパソコンのフリーゲーム「Ib」をご存知だろうか。
ある日、主人公のイヴは両親とともに美術館で開催された「ゲルテナ展」にやってくる。イヴはひとりでゲルテナの作品を見て回っていた。そして一枚の大きな絵に見入ってしまう。気がつくと美術館から人がいなくなり、両親ともはぐれ、外に出ることもできなくなってしまう。
絵に描かれた猫は鳴き声を上げ。額縁から赤い絵の具が滴っていた。まるで人間の血のように。そうしてゲルテナの作品たちはイヴを絵の世界へいざなうのであった。
不思議な世界へ入り込んでしまったイヴは、ひとり心細くさまよう。首のないマネキンに襲われ、額から上半身がはみだした狂気の女に追いかけられた。
命からがら逃げおおせたイヴの前にギャリーと名乗る人物が現れる。彼もまたゲルテナ展を見に来た客の一人だった。彼の助けを借りながら二人は出口を探す。
ネットの動画サイトでも非常に話題となり、2014年頃にフリーゲームを遊んでいた人ならば知らない人はほとんどいないだろう。
ホラー脱出アドベンチャーゲームとして高い評価を集めている。
何を隠そうわたしもこの作品のファンである。
世界観は神秘的で、たいへん怖い。
芸術作品の持つただならぬ雰囲気や、狂気じみた印象をうまく調和させて、プレイヤーの不安をあおる。
マップや謎解きの難易度もほどほどに、びっくりさせてくる仕掛けが普通に怖い。
プレイ動画を見ているだけではなかなか伝わらないが、やってみるとこれが意外にしてやられる。
お話もきれいにまとめられており、マルチエンディング方式を取っているが、バッドエンドもハッピーエンドも納得がいく仕上がりとなっている。上から目線に何を言っているかと思う方がいたならば、その方の感覚は正しい。こんなつたない文章のレビューなんかじゃ「Ib」の世界観のすべてをきれいに伝えることなどできていないからだ。
物語が進むに連れて、ゲルテナの作品に隠された秘密が二人を幾度も惑わせるわけだが、詳細はネタバレになるので割愛する。
気になる方がいればぜひ一度プレイしてみるといい。イヴが絵の中に入り込むまでの冒頭の15分だけでも、なかなかおもしろいはずだ。
ホラー要素はもちろん含まれているが、ガラスが割れたり、マネキンが襲ってくる声が多少脅かしてくる程度である。画面いっぱいにおっかない画像がどんと表示されたりはしない。
ゲーム性としても、触れたら即死のオワタ式鬼畜ゲーではなく、個別に体力が設定されており。そうなんどもなんどもゲームオーバーを繰り返すようなものでもない。ほどよい緊張感とスリルやパズル要素がプレイヤーの好奇心を掻き立てる。
さて、イヴの話はこのくらいにしておこう。
なにについて書こうとしたか話そう。
今日は物語を考えようと思う。
ゲルテナは自分の作った世界に年端もいかぬ可愛らしい少女を誘拐したのだ。
芸術家ならなにをやっても許されると言うのか。ならばわたしも今日から芸術家を目指そうではないか。毎日かわいらしい女の子を作品の中に閉じ込めては、恐怖におののく姿を見て楽しもうではないか。
というわけで、イヴに感銘を受けたわたしは似たような作品を思いついた。
内容はこうだ。
少女は目覚める。
真っ先に主人公として16歳の女の子を選んでみた。理由はもちろん、可愛いからだ。
この愛くるしき少女、名前は「クリスタ」という。
クリスタが目覚めるとことからお話がスタートする。
よくあるだろう、深夜アニメの劇場版の主人公が、やかましい目覚まし時計のアラームとともに目を覚まし、映画のスクリーン上にはスタッフクレジットが表示されていくさまをわたしはよく知っている。
クリスタは目覚めると。そこは真っ暗なのだ。暗いとはどういうことか。文字通り、何も見えないのだ。目を開けている感覚はあるが、何も見えない。暗闇に目がなれてくると天井らしきものが見え、壁が見え。そこがちいさな部屋の中であることがわかる。
クリスタは人間だから体に神経が通っている。自分が横たわっているのが床なのか、はたまたふかふかのベッドなのかは目で見て確認するまでもなく理解できている。答えは前者。木の板間にぶっ倒れている状態である。そして首が多少痛む。ここにクリスタを寝かせたやつはろくに枕も用意してくれなかったのだろうか。せっかくきれいな彼女のブロンドの髪の毛がほこりだらけの床にさらされて傷んでしまうではないか。けしからん。
彼女は目を凝らしてあたりの様子を見回した。自分の左側にはすぐ近くに壁があり、右側の、手の届かない辺りには木箱のようなものが見えた。
先に言ってしまえば、ここはクリスタの父の作業部屋なのだ。父の作業部屋はクリスタの実家の2Fにあり、出入り口は部屋の南側に面した西の隅にある。作業台は扉から最も離れており北東の隅に寄せてある。そしてその作業台に向かって座った正面に窓があり。父はいつも窓を開けて採光していた。
そしてクリスタが横たわっているのが南東のすみ。ここはクローゼットだ。ウォークインクローゼット。クリスタを横たえるために。広めの置き場としてそういう設定にした。
物置とも言っていい。なぜなら父はクローゼットに仕事の道具をこれでもかと詰め込んでいるから。広めのクローゼットも画家の父である彼の仕事用品でいっぱいになっていた。
クリスタが最初に目にする木箱には大量の布切れが入っている。真っ赤に染まった大量のね。いやいや血ではないよ、絵の具さ。わかるよね。
クリスタは一時的な記憶喪失。ではないが、それに近い状態になっている。ここがどこなのかがわからない。それもしかたない。父の部屋に大変似た構造をしているし、置いてある物も父の使っていたものに酷似しているが、それがほんとうに父の所有品とはとても思えないほどに汚れている。一番に違いはこの部屋には窓がないことだ。壁には無数の絵、額に収められて飾られている。大小の絵の数もさることながら、クリスタが驚いたのは、その額の上から大胆にもペンキを直接塗りつけるようにして描かれた絵があることである。壁が一枚のキャンバスになり、大きく何かが描かれているのだ。足の生えた目玉のような。スカートを履いた犬のような絵。わけがわからない。絵は青く光る黒い絵の具で描かれていた。
作業台には、炭や絵の具、パステル、筆が散らばり、ばらばらになったイーゼルの残骸が積み上げられ、天井にまで届いている。ところどころで骨組みが「僕はクリスマスツリーです。どうぞ飾り付けてください」と言わんばかりに飛び出しており、その一本ずつに絵の抜けた額が引っ掛けられていた。たいへん悪趣味である。
イーゼルや額の残骸は天井にめり込んでおり、むしろ天井から直接生えてきているのではないかと錯覚するほどであった。作業台の下には乾いた血溜まりがあり、その中心には小動物の白骨化死体が横たえられ、頭蓋骨からは牛かキリンの長い舌のような、ぬらぬらとしたものが生えた模型が置かれている。血溜まりの円の外側には3センチ角ほどの四角い板が一筋の鎖状に連なり、その途中途中に人の形をした積み木が置かれていた。木の板を一枚だけめくるとそこには28と書かれていた。
作業台の下に配置するものはネズミの死体でも良かったが、異常さを出すためにありえないものを配置したかった。連なっているのはボードゲーム海底探検のコマ。
ここまで話せば多少理解していただけると思うが、クリスタの目覚める部屋は父の部屋ではない。もう一つの架空の空間だ。だからその部屋は似て非なるもの。
なにかのアクシデントでクリスタはここ、つまり亜空間に入り込んでしまうわけだ。
入り込む理由も簡単に書いておこう。
クリスタは超能力者だ。
フィクションなのだから許してほしい。彼女は絵の中に入り込むことができる。
それだけではない、絵の中にいる者たちと会話ができる。その絵が精巧に描かれていれば、彼女は絵の世界を深く深くへと入り込めるわけだ。
モナリザとはマブダチという設定も付け加えるとしようか。いや、やめておこう。
ある日クリスタがモナリザ展に足を運んで、彼女の絵の中に飛び込んで、彼女にこう語りかける。
「リザ、最近どう?」
「そろそろ肩が凝ってきたわ。みんなと目を合わせるのも疲れちゃった」
「組んでる腕を逆にしてみるのはどう?みんな気がつくかしら」
「嫌よ、そんなの」
「どうして?」
「そんなことしたら贋作だって燃やされちゃうもの」
クリスタが絵の中に入ることと、絵の中の者たちと会話できる力は、ある目的のために備わっている。キーワードは「家族」後述する。
この能力をクリスタ本人が認識するのはこの事件が終わってからとなる。つまりクリスタ本人にしてみればはじめての体験。自分に何が起こったのかがわからない。読者諸君にもはじめにその設定を伝える気はないから安心してほしい。
展開としてはこうだ。
クリスタ目覚める。さまよう。謎を解く。脱出を試みる。目的に気がつく。エンド。
この物語の最終目的は絵の中からの脱出ではない。物語の展開として、小さな目的を次々にこなしていき、大きい目標を達した後に、裏ボス的な感覚でもう一回楽しみがあってもいいじゃないだろうか。わたしはそういうのが好きだ。
この作品を仕上げるに当たり、たいへんな作業がある。
物語の構成。世界観の構築。キャラ付け。謎づくり。展開。やることは無数にある。
頭の中で出来上がっているのはおおまかな流れとそれを盛り上げる一部のキャラクターのざっくりとした設定。
クリスタが歩く廊下の装飾なんかもいちいち考えないと、リアリティにかけてしまう。けれどもわたしにそんな美的センスはないし。そんなことをやっていては時間がどれだけあっても足りない。ならばどうするか。
先生たちの力を借りるほかないでしょう。真似をする。パクる。
まるまるそのままを世界観に投入するわけではない。飾りの中に丸をつかうか三角をつかうか迷ったときに参考にする程度だ。
もっと言ってしまえば、はじめに話したとおり、この作品(仮名をクリスタ)は「Ib」に感銘を受けてわたしが想像したものだ。
似てしまうのはしかたない。そしてわたしが作ろうとしているのは、文章としての作品。「Ib」はゲーム。受け取り方も人によって大きく違ってくる。
そこをうまく利用しようと思う。
文字での作品は読者により世界観の想像をされる。わたしがなにもかもを設定し、建物の色やなにからなにまでを決めるのではない。
クリスタの目覚める部屋の床の色をわたしは茶色と思っている。けれども、中にはグレーだと思う人も、焦げ茶だと思う人もいるだろう。汚れているし、血が滴っているなら赤も含まれるかもしれない。別段その部分をわたしが決めようとは思わない。
わたしが「木の板間」と書いたことで、その木が何色かは特に重要ではない。
そこに例えば「白木の板間」と書けば、多少印象は変わってくるだろうし、「大量のペンキで薄汚れた木の床」と書けば、そのペンキが劣化して剥がれた細かいかけらが、クリスタの髪の毛に絡んでいてもおかしくないのだ。
そういうディティールの話を切り詰めて行くことで読者の心をつかみたいと思っている。
髪にホコリが付いたことがわかれば、取り払いたくなるだろうが、クリスタは鏡を見ていないからそれにも気が付かない。たとえ顔が血まみれになっていたとしてもクリスタはガラスに映る自分の顔を見るまで気が付かないのだ。
いいことを思いついたので、このアイデアを取り入れることにする。
途中でクリスタは鏡を覗く、そこで自分の頬やおでこに血しぶきが付いていることに気が付き驚く。本当はただの絵の具なのだが。
そしてその顔を見た絵の中の住民は「ひっでえ顔してんなおまえ」と声を掛ける。
クリスタは恐怖のあまり表情がこわばっているから、そういう意味だと捉える。
しかし彼の言う「ひどい」は「きれいな顔が汚れている、台なしだ」という意味。
このような言葉の錯誤や、主観では気づきにくいことをあとから指摘されることで、自分の状況を少しずつ理解していく姿を描ければと考えている。
ここまで書いて話がだいぶそれてしまったが、続きを記していこうと思う。
さきほど父のクローゼットのなかには仕事の道具が詰まっていると話したが、具体的には何が入っているだろうか。本当の父の部屋のクローゼットには当然衣服も入っている。父の誕生日にクリスタがプレゼントした立派なコート。何色だろうか。わたしはこれを黒にした。緑もいいかと思ったが、緑は別のコートの色だ。クリスタの父が妻からプレゼントされたボロボロのコート。こっちがダークグリーン。このコートはクリスタの命を守る役目を果たしてもらおう。
クリスタは絵の中で幾度となく、危険にさられる。そのたびに父の持ち物に救われることになる。
はじめは作業台の燭台。持ち運びはできないが。この燭台に立てられたろうそくに火がつくことでクリスタは最初に視界を得ることができる。
この火は自然に灯る。勝手にだ。火が付いて部屋が安全だと確認できてから、クリスタは動くことができるようになる。その部屋にはおおよそ安全には思えない狂気の作品が無数にあるから、当のクリスタは部屋からとっとと逃げ出したいと思うわけだが。
続いて、部屋を出るとクリスタはまた暗い廊下を一人で歩くことになる。部屋から漏れる僅かな明かりを頼りに暗い廊下を進まなければならない。
部屋を出ると右側が行き止まりになっている。廊下のつきあたりにこの部屋は存在していることになる。行き止まりの壁には、クリスタの胸から上の高さに縦長のガラスが貼ってあった。縦に長く伸びたガラスは上の端が見えなかった。とても高いところまで伸びているのかはわからないが、天井も暗くて見えない。そとから明かりが入ってきているはずなのに、その光で室内を目視できないとなると、外は夜であるかもしれないとクリスタは思う。その窓には内側から当て木がされている。乱雑に打ち付けられた分厚い木の板。手近な板を掴んで、力いっぱい揺さぶってみるがびくともしない。釘で打ち込んであるはずなのに、まるで壁と溶接でもされているかのようで、少しも傾かなかった。
クリスタは当て木の隙間から、外の様子を覗こうと背伸びをした。しかし窓ガラスは曇っているのかくすんでいるのか。向こう側がほとんど見えなかった。指で窓をこすろうと隙間に指を入れようとしたが入らなかった。怪我をしないうちに指を離した。あきらめて外の音を聞くことにした。ぱらぱらと窓を叩く雨の音が聞こえるような気がした。気のせいかもしれないが、外では雨が降っていると思うだけでクリスタの気持ちは少し落ち着いた。
クリスタは閉鎖された空間からなんとか脱しようと試みる。けれどもなんともならない。窓から抜けられると考えるのは当然の思考ではないかと思う。クリスタもできることなら窓を叩き割って外の空気を一刻も早く吸いたいと願っている状態である。
第一ここはどこかもわからないし、ここが安全である保証は今の所どこにもないのだから。
さて、ここまでがクリスタが目覚めて部屋を抜けた先にある、1つ目の試みをクリスタが諦めるまでの描写だ。読者の思惑通り、そう簡単に脱出できるはずもない。
というか、ここまででは読者はクリスタがどんな状況下にあるのか、脱出をしなければいけないところなのかも実はよくわからないだろう。
クリスタが目覚めたあと、前述の通り作業台の上のロウソクが灯り。クリスタがからだを起こし、部屋の様子が描かれ、ただならぬ雰囲気に危険を感じたクリスタが部屋を飛び出す。これしか情報がないのだ。ここを出なければならない理由をもう少し加えていく必要がある。
この時点では脱出よりも、状況の把握に専念すべきであると思えば、まだクリスタに焦って先走ってもらっては困るわけだ。まずはここはどこ、ここはどこ、とさまよってもらわねばなるまい。そのうえで、危ないかもしれない。という危機を徐々に認識していただくように仕向けようか。
理解し難いものを見れば不安な気持ちにもなる。そういう意味で、乾いた血溜まりの白骨死体や、天井まで伸びているイーゼルの残骸や、壁にでかでかと描かれた謎の絵や、ひとりでに灯るロウソクはクリスタの心を十分に不安にさせるだろう。
ちなみにロウソクが灯った理由を明確に定義した。
ロウソクは「ノーム」が灯したものである。後述
クリスタがさまよう世界は紛れもなく絵の中の世界であり、そこにはクリスタ以外の住人が存在する。その住人の中には、女王と呼ばれている偉い人(絵)がいる。その女王が支配している絵の世界には、絵の中の使用人がいる。使用人の名はシンディ。汚れを掃除する役目を果たしている。絵の世界の中で、汚れているものを彼女の持つ雑巾で拭き取ることで消してしまう。
そしてシンディのお手伝いをしてくれる小さな働き者「ノーム」
ベル状の胴体にまるい頭部に大きな目、三角帽子をかぶっており、非常に愛くるしい見た目をしている。機嫌が良いとからだを鳴らしてニコニコ笑う。絵の中の世界では唯一姿を自在に消したり現したりできる。空間同士の出入りも自由。女王や他の住人の入ることのない部屋にも入り込める。そして人の気持ちを察知して助けようとする。クリスタの味方だ。クリスタが目覚めたとき、一匹のノームが部屋に入り込み、クリスタの明かりが欲しいという願いを叶えたのである。直後にクリスタが体を起こして驚いたノームは姿を隠してしまう。クリスタにくっついてちょくちょく助ける。
談話室の「紳士」からこの空間の説明を受けるまではノームは姿を見せない。
クリスタがはじめに目覚めた部屋は絵の中の世界でも、誰もが自由に出入りできない秘密の部屋である。「扉」が閉ざしていた「廊下」の突き当りにある。この「扉」は後述するが女王のしもべであり、絵の世界の空間同士をつなぐ役目を果たしている。絵はそれぞれ独立した額の中に収められているが、扉のちからで空間をつなげている。扉は女王の命令に従っている。シンディも女王の命令に従っている。ただ両者とも女王に対し忠実ではない。命令を受けるから行動するだけである。命令するものが他にいないから、女王に従っているのである。つまりクリスタが命令すれば・・・。
扉もシンディも自分の意志で行動することがある。
扉は秘密の部屋を秘密にするし、シンディは汚れを見つけたらそれを取り除こうとする。逃げるものは追いかける。そのときのシンディの顔は、黒目がなくなり、たいへんおっかない。
秘密の部屋は誰にとっての秘密かといえば、女王に対しての秘密の部屋である。
この部屋が何かと言えば、父の部屋である。クリスタの父は画家。
つまりは絵の世界の創造主。彼の部屋から全ては生まれ、絵の世界は構築された。扉もシンディも、ノームもクリスタの父が描いたもの。その中でも女王と名乗る女は、"よくできた作品"なのである。父が描いた絵の中でもそれはそれは精巧に描かれてしまったもので、他の絵よりも力が強く、支配欲があり、女王などと名乗るようになった。その実は父の古い恋人。妻の前に親交していた女性をクリスタの父は絵にしてしまった。
父は無意識だった。誰と意識するわけでなく女性の絵を描いた。それが父の潜在意識で過去の記憶と結び付けられ、そして歪んだ記憶のまま精巧に描かれてしまった、いわば悪しき作品である。歪んだというのは、父の悲しい失恋の過去。失ったものを取り戻せない、失敗した過去。そういう負の感情が込められてしまい。出来上がった作品が女王。
女王も所詮はただの絵。目的は自分を満たすこと。父の満たされなかった気持ちが反映されてしまっており、ぽっかり空いた穴を埋めるべく、女王は愛を求めている。
父の愛情を強く受けて育ったクリスタに対して過剰に反応してしまう。
絵の女王は大切にされたいと願っているだけ、愛されたい、愛してほしい。その一心でしかない。愛を手に入れるために他者を支配し、操り自らの力に変えて、敵視するものを滅ぼそうとする。
扉は作品同士のつながりを象徴する作品ではあるが。その扉の中に父の記憶の一部を隠してある。危険のある存在から、父の部屋を守るために、扉は部屋をひた隠しにする。扉の作品名は「秘密の裏」
父の隠している秘密とは、クリスタの力のこと「絵に入り込む力」これはたいへん恐ろしい力であるとクリスタの父は考えた。
どういうことか、単純である。
「クリスタは自由に絵を出入りできる」が「その方法を理解していない」のである。
はじめてクリスタが絵の中に入ったのは、まだハイハイもままならない赤ん坊の頃。クリスタが生まれてすぐに母親を失った。病気だった。クリスタを産むことで息絶えてしまった。
こんな設定にしておくのは特に問題ないだろう。重要なのはクリスタには家族が父親一人しかいないということと。クリスタの父にとっても家族はクリスタたった一人なのである。
クリスタが生まれる以前に、妻の絵を描いた。クリスタの母は自分の命が間もなく絶えてしまうことを自ら悟っていた。
そこで愛する夫に、「生まれてくる子を、母と巡り合わせてあげて」と頼んだそうだ。
クリスタの父は妻の言っている意味がわからなかった。絵を描くことは了承したが、会わせることができないかもしれないなんて。まるで死の宣告を受けているようで、クリスタの父は困惑した。けれども、妻の意志は固かった。わたしの絵を描いてほしいという妻の願いをクリスタの父は受け入れた。
父はクリスタの母の絵を完成させた。生前の姿をありのままに描いた作品だった。
そして、絵が完成したその日。クリスタは生まれ。妻はこの世を去った。
父は嘆き悲しんだ。絵が完成したことも伝えられぬままに彼女は逝ってしまったのである。絵を完成させるという約束を果たしたことも、伝えられないままでいた。
時が経ち、クリスタの父は妻の絵をクリスタの眠るベッドの近くに飾ることにした。絵のもとですやすやと眠る我が子の姿にクリスタの父は心を癒やされた。
「これでよかっただろうか」妻の絵に語りかける。
翌朝、クリスタは姿を消していた。
クリスタは赤ん坊の頃に一度、絵の世界に姿を消している。
父は警察に相談し、クリスタの捜索を依頼した。けれども依然として見つからない。
クリスタの父は落胆した。「これ以上、僕の家族を奪わないでくれ」
妻に続いて、愛する我が子も失ってしまった父は死をも考えた。生きている意味などない。そう思ってふと、妻の絵を見上げると、そこには妻の腕に抱えられたクリスタの姿があった。妻は自分の腕の中で安らかに眠る我が子を抱いて、優しく微笑んでいた。
そして父は気を失った。
気がつくとベッドに眠るクリスタの姿ともとに戻った妻の絵。クリスタは帰ってきた。
クリスタの父はまるで理解できなかったが、そしてあることを思い出した。
二人(仮名マルコとリーセ)が出会った頃。リーセは芸術には興味がないとよく話す女性だった。マルコが理由を尋ねるとリーセはこう答えた。
「絵の中の人たちってみーんなひねくれ者なんだもん」
マルコは言葉の意味がわからなかった。
「けど、あなたの描く絵は好き。とっても神秘的。こういう世界にならわたしも入り込んでみたいかな」
ただの比喩だと思っていた。リーセはわたしの絵の中に入ってみたいとよく言っていた。絵が好きだという気持ちを遠回しに表現しているのだとばかり思っていた。
けれど実際は違った。
「最後の晩餐の食事って全然美味しくないんだよ」とか「接吻って女の人可哀想だよね。わざわざあんな崖でしなくてもいいのに。彼女怖がってるよ」とか言っていた。
芸術が好きじゃないというから、他人の作品をこき下ろしているだけに見えていた。彼女は実は本当に絵の中に入り込んでいたのかもしれないと思うようになった。
設定上の事実として、クリスタの母リーセは絵の中に入り込むことができた。そして彼女の力は娘のクリスタに受け継がれた。彼女はマルコの絵の力にも気がついていた。マルコの描く作品には、芸術としてだけでなく、独特の世界観に命を吹き込むこともできると確信していた。リーセは自分の命が消えるとわかったそのときに、マルコに絵を描かせ、完成と同時に絵の中に入り込み。クリスタの待つ我が家へ旅立ったのだ。そしてクリスタが姿を消したその日。ついに自分の絵にたどり着き。我が子をその腕に抱きしめることができた。
クリスタは知らず知らずのうちに母に抱かれ、再会を果たしていた。しかしクリスタ自身は母に会った記憶はない。
リーセはクリスタが絵の中に入り込む力があることも知っていたし、マルコが絵の中に命を吹き込むことができることも知っていた。そしてもう一つ。絵の中に入りこむことは容易でも、抜け出すことは困難で場合があることも知っていた。
ましてやそれがマルコの作品ともなれば、一生上の中から出てこられなくなる可能性が高いこともわかっていた。だからクリスタにはその力を悟られたくなかったし、マルコにも打ち明けることはなかった。クリスタが絵の中に来てしまうと、マルコは一人ぼっちになってしまうからだ。
絵の中から二人を見守ることがリーセの最後の願いだった。マルコはそれを叶えてくれた。クリスタは、まだ赤ん坊でありながら、自分から会いに来てくれた。
それだけで十分だった。
という裏設定がある。
このような秘密を隠すため、封印するための作品として、知られてはいけない秘密をしまい込む部屋として、マルコは扉の絵を描く。残念なことにこの絵がクリスタに見つかり、タイトルに記載された秘密とはなにかを知りたくなったクリスタは、この絵から絵の世界に入りこんでしまうことになる。