自分が異常者であるという認識

自分が異常者であると感じたことはあるだろうか。

わたしはある。ほとんど常に異常な傾向があると感じている。

他人と比較して、一方的に感じているだけであるが、異常性は誰もがもっている負の感情の塊ではないだろうか。

新聞やニュースでは毎日人が死んでいる。それは事故なのか、寿命なのか、殺人なのか。いろいろあるだろうが、人は毎日殺されている。日本のどこかでも、世界のどこかでも。

では人を殺す人間はみな異常なのかと考えてみる。

一般的には異常だろう。人を殺してしまうなんてだいそれたことを平気で行ってしまえるのであれば、それはまぎれもなく異常者である。

しかし、人を殺すのが平気なはずがあるだろうか?

薬物で思考が飛んでいたりしない限り、人の命を簡単に奪うようなことを、平気で行える人間はよほどいないと勝手に思っている。

実際に行動に移すことはほとんどないにしろ、人は平気で他人の死を願う。

「死ね」「消えろ」わりと平気で口にするだろう。

死んでほしいと願うこと。あいつが死ねば良いと考えること。そんなことは誰もが平気で考えることで、それは非常に一般的で普遍的な感覚。生物として正常な感覚を持ち合わせているからこそ感じるものであり。それを思考するのは、人間の特徴とも言えるのではないだろう。

考えるまでは正常。口にする人間は普通。行動にうつすと異常。

段階的でありなかなかおもしろいではないだろうか。

わたしはもちろん人を殺したこともないし、滅多なことで人に向かって「死ね」などと口走ることはない、わたしはこの上なく正常な人間だ。けれども、脳内で何人の人間を殺しただろうか。通りすがりの人間を斬りつける想像を何度シミュレーションしたことか。わたしが道を歩いていて目の前を歩く人間がたばこを吸っていたら、すぐさま空想の拳銃を取り出して、そいつの後頭部めがけて躊躇なく発砲するくらいには、わたしの銃の腕は上達している。

多少冷静なときには頭を打ち抜くのではなく、やつの持っているたばこの先端をかすめて火を消せるようにもなった。

なかなかクールではないか。

歩きタバコが禁止されている区域で、おろかにもたばこをふかして歩いている迷惑極まりない人間を見かけたら、右腰にひっさげたホルスターから、6弾装填式のリボルバーをコンマ1秒の速さで引き抜いてたばこの火を撃ち抜く。

これで街の歩きタバコは撲滅できるに違いない

しかしわたしの住む街では拳銃を持ち歩くことも禁止されているのだ。どうやらこの手は使えそうにない。

こんなことを考えながら街を歩く人間が他にどれくらいいるだろうか。

漫画好きやアニメ好きにはそういう人種ももちろんいるだろう。ヤクザ映画が好きな人なら、怖い顔したいかにも強そうな(悪そうな)人が「あの~ちょっとすみません。ここ、歩きタバコ禁止区域なんです」なんて落ち着いて声をかけたら、タバコを吸っていたあんちゃんは、びびってタバコを地面に落っことすかも。

なんて考えるのだろうか。そして怖い顔の人はこう続ける。

「ポイ捨ても、禁止なんです」